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矯正ではなく配慮を

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不登校やひきこもり状態になった人やその家族と共に歩む当事者活動「七十二人の集い」(代表・沖下昌寛修道士=イエズス会)は10月13日、「第3回カトリックひきこもり支援東京大会」を東京・千代田区の麹町教会で開催した。

世間では依然として、ひきこもりや不登校についてさまざまな偏見があるが、当事者経験がある講師の丸山康彦さん(ヒューマン・スタジオ代表/神奈川・藤沢)は、そうした生きづらさを抱えた若者たちの心理状況や支援の在り方を解説した。

『不登校・ひきこもりが終わるとき』の著者、丸山さんは「不登校やひきこもりは、傷つき疲れ果てた子どもや若者たちの“生きざま”」だと解説し、当事者の細かい心理に着目する重要性を強調した。

丸山さんはまず、不登校・ひきこもりが始まる時の心理として、二つの要素を挙げた。 一つは、いじめなど何らかの理由で心が傷ついていること、または「こう生きるべきだ」という社会が決めた規範(人生設計)に自らを合わせようと無理をして、疲れ果てていること。

二つ目は、その結果、「このままでいいのか?」という得も言われぬ違和感や不安感にとらわれていることだ。この違和感や不安感は、「今の生き方では、いずれ行き詰る。その前に、自分を創り直してから再出発せよ」という無意識の“予言”や“指令”だという。

「一人一人の人生には必ず一つの道が用意されていて、それは横道でも回り道でもない、自分だけの道です。誰の道にも、デコボコや“トンネル”があり、ある人にとっての“トンネル”が、不登校やひきこもりだったのです。本人たちは、自分の人生にあるその“トンネル”をゆっくりと、自分の足で、自分のペースで踏破したいと思っているので、周囲からの支援に抵抗感を示したりするのです」

当事者が直面している人生の葛藤は、二つの「本心」をめぐる攻防から来ているという。一つは、「早く社会に戻りたい」という「願い」。もう一つは、「周囲に合わせるのではなく、自分に合った生き方がしたい」という「思い」。この両方とも本心であるため、その葛藤が重すぎて動けなくなってしまうのだ。

しかし、不登校・ひきこもりが長引くと、悪循環が起こることが多い。「社会に出られなくなった」「当たり前のことができない」という自分の状態にさらに傷つき、疲れ果て、また〝嫌な自分〟しか見えなくなる。また自分の「願い」と「思い」の葛藤が激化し、あせりやいらだちを募らせてしまう。

支援者の中には、“トンネル”に穴をあけて、当事者を引っ張り出して“元の生活”に無理やり戻そうとする人、または、不登校・ひきこもり状態の人を“人生の歩みをやめた人”と見なす人もいるが、丸山さんは支援者の心得をこう話した。

「必要なのは支援者による治療(支援欲)や矯正・説得(コントロール願望)ではなく、配慮です。本人の願いや思いに沿って、相手のすべてを無条件に肯定し、寄り添うことです」

詳細はURL(http://homepage3.nifty.com/Husta/)まで。また主催者の「七十二人の集い」は現在、東京都内4カ所で相談室等を行うなど、活動を展開している。URLは http://72nin.com/

(「カトリック新聞」2014年11月2日付より 一部省略)


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